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2007年6月 アーカイブ

2007年6月 4日

夏コミ当選とか

夏コミ当選しました。
1日目金曜日・東地区 U-24a。

TWilight INSanity スコアトライアル も無事終了。参加されたみなさま、ありがとうございました。最後の一時間で西條姉妹のランキングが大きく変動して面白かったです。

あと、日経BP社の ゲームエンタ!Vol.2 の「ゲーム業界インディーズシーンの現在」という記事にて、TWINS が紹介されてます。ほんのちょっとですが。本屋さんで見かけたら是非手に取って頂ければ。

2007年6月 5日

業界人のジレンマ

新聞社OBに「ネットの言論はクズだ」とボコられる より

いまのネット業界の各社レベルの話だと、確かに新聞社が抱えている千億単位の話はスケールが大きすぎてピンとこないのだろうなあというのは分かります。「はてな? あんなの子供が遊ぶ砂場の話じゃねーか」とか、ポンと出るあたり、気にはするけど相手にはしない記者風情(言い方は悪いけど、ブン屋の真骨頂みたいな意味合いも含め)の硬骨を感じます。


これを読んで思い出したことがある。

数年前、Linux がフリーの OS として有名になりつつある頃、商用 UNIX で飯を食ってる人たち(俺を含む)は言った。
「Linux? あんな出来の悪い OS が商用で使えるわけがないさ」

数年前、月姫が同人ゲーム界隈でブームになっていた頃、自称エロゲ専門家(←何だそれ)の人たちは言った。
「TYPE-MOON? たいしたことないよ。同人ならともかく、商業の世界じゃ通用しないね」

結局、これらの業界人や専門家の予想は外れることになったわけだけど、似たような話はいっぱいある。特定の業界の中にいると、品質や実績といった観点では適切な判断を行うことができるがゆえに「新しい何か」を過小評価してしまう。イノベーションのジレンマ、と同じ構造だね。

つまり、新しい何かを評して「あれはクズだよ」と自然に言えるようになれば立派な業界人、ということだ(違

2007年6月 7日

好きなことを仕事にしないという生き方

自分が好きなことは、仕事にせずに趣味にとどめておいたほうがいいと思う。

なぜなら


・仕事は趣味に使うための資金稼ぎの手段、と割り切ってしまえば仕事で嫌なことがあっても気が楽。

・趣味で使うお金を増やすためには高い給料を貰う必要があるので、結果として仕事のモチベーション・品質の向上に繋がる。

・仕事が不調なときは趣味に没頭し、趣味に熱中できないときは仕事に集中し、といったように両方の美味しいとこどりができる。

・好きなことを仕事にしても、自分の思うように物事が進めるのは難しいので逆にストレスを増やすことになる。

・(創作活動の場合)商業流通・メディアに載せなくても、ネット上で自分の趣味の活動を発表することができるようになったので、好きなことを仕事にする必然性が薄れている。


といった理由があるから。

要するに、普通の生き方でいいんだよ、きっと。

2007年6月20日

○○は BL (あるいは百合)を狙ってる、という妄想

「男の友情」が描けなくなっている時代

「おお振りが BL を狙ってるのかどうか論争」は三年前に既に盛り上がってた。そもそも腐女子が 「○○は BL を狙ってる」 と言って騒ぐのは昔からであって、ある意味風物詩みたいなもんだから軽くスルーしとけ。腐女子に対して「何でも BL 扱いかよ」というツッコミをしても、「(男のオタは)何でも陵辱エロにするのかよ」というブーメランになって返ってくるんだから。「いや、俺は陵辱よりも和姦のほうが好きだよ」とかいう問題じゃなくてな。

仮にもオタクであるのなら、他人の嗜好や異文化に寛容になろうよ。
マイノリティ同士がそれぞれの趣味の細かい差異で言い争っても仕方がない。












そんな話はどうでもいいとして。
俺が思うに、ひとひら は絶対に百合を狙ってるはず。野乃x美麗はガチカップルだよ。間違いないね。ま、野乃x麦もアリかなとか思うけど。でも、アニメの7話Bパートを見るとさ(……省略されました。続きを読むには、百合脳乙と書き込んで下さい)

2007年6月28日

無限の可能性が生み出す希望と絶望

無限は君が思っているほど大きいとは限らない

Q:可能性が無限として、その中にあなたが探しているものは必ず見つかるか?

私の8歳の娘にもわかる反証をしてみよう。ある国では、偶数の番号札を持っている人には必ず年金を出す事にしている。出生時に番号札は必ず渡される。あなたもそれを持っている。そこには見間違えようのない自然数が書いてある。あなたは年金をもらえるだろうか?

そこに奇数の番号が書いてあったら、答えはNo、だ。国が無限の予算を持っていても、あなたが年金をもらうことはない。これは、「無限の可能性が、解の存在を保証しない」一番トリビアルな例。

無限の可能性について語りたいのであれば、この文章に「ただし、番号札は何度でも貰うことができる」という一文を追加したほうがいいんじゃないかと思うんだけど、どうだろう? 
もっとも、この条件が付け加えられたとしても

悲観論者「それでも偶数札が持てることは保証されてはいないじゃないか! 絶望した!」
楽観論者「それならいつかきっと偶数札を持てるようになるんだ!」

といったように、人によって捉え方は違ってくるだろうけどね。